大工だからできる家

木の家づくりには、木の知識や経験が必要です。
常に木に触れ、木を知り抜く大工棟梁と、
木の性質を活かしきる
家づくりをしませんか?
綾部工務店の大工棟梁、綾部孝司が書いてます。
2011年11月2日

熟成

 無垢の木が美しく仕上る年数と木造住宅の減価償却耐用年数は奇しくも同じ年数である。それが良いか悪いかは別として、時がつくりだす価値に付いて考えてみたい。
 人工素材と自然素材の劣化は共に建てた時点から始まっているが、両者の違いは劣化したものがそのまま劣化し続けるか、劣化し一時汚くはなるが別の美しさが出てくることだろう。
 人工素材は建てたときが美しい状態で、出来るだけその美しさを維持するべく表面にコーティングをするなど工夫を凝らしている。ところが時間の経過とともにだんだんと美しさが減ってしまう。
 自然の素材は、新築から2年から5年程度にかけて雨シミや変色ムラで一番汚い状態を迎える、木肌の美しい建築当初の表情とはかけ離れてしまうこともある。10年を超えるとだんだんと変色ムラなどがわからなくなり次第に経過年数相応の落ち着きのある色彩と表面の質感に変化していく。熟成という言葉が相応しい年数は30年を超えた頃からだろう。その頃には住まい手の家族も建物とともに円熟味を増しているだろう。

50年経過した自宅の杉の戸袋


2011年5月7日

想定外を想定する

 3月の地震以降様々な場面で想定や想定外という言葉を聞く。自然界の規模に比べ人間はちっぽけなものだ。
かつて日本の民は自然を恐れ、そして崇拝していた。様々な行動は決して自分本位、人間本位にならない様、謙虚さを常に持ち合わせていたように思う。
 日本の家づくりに関する過ちのひとつは、自然に対する傲慢さゆえ、人命を守るという本来の目的に対し敢えて限界をつくってしまったことではないだろうか。
基準を守っていたのだがそれを超えてしまったというのは言い訳の一つに過ぎないような気がする。
では、何をどう想定すれば良いのか。それは、想定外を想定することだと私は思う。
 人智を超えた事象に対する備えを持ち合わせる古民家とその考え方に私は魅力を感じ敬意を払う。大地震時の建物の振る舞いや、土から生まれ土に還ることの大切さをしみじみと感じている。


2011年1月24日

構造見学会

構造見学会のお知らせをHPニュース欄に掲載しました。


2011年1月16日

棟上げ

 棟が上がったのは夕方6時を少し過ぎた所、冬の寒さも忘れる熱気あふれるラストスパートだった。

 さかのぼること3年前、初めて建築主のN氏と出会ったのは、やはり北風の吹く季節であった。N氏の第一希望は、石場建て。大地と呼応する住まい方を望んでいた。これまで住んでいた家は築70年を過ぎた同潤会の木造住宅で建替えに際し古土を使いたいという。話し込む程に様々な想いが伝わってくる。
 時は建築基準法の厳格化の真っただ中。N氏と共に鉄の扉に正面から挑んで行く事を決意し協力者を探した。なんとかしたかった。地元の伝統的建物も現行法の中での耐震改修を行わざるを得ず、本来の特性が失われつつある中、それらを見直す一つの足がかりになるのではないかとも考えていた。少しして木の家ネットのメンバーが手伝ってくれることになった。関西の構造事務所も参加してくれることになった。確認申請をどこに出すなど課題は尽きない。受け付け拒否する機関が多い中、ようやく確認機関が決まった。口利きで協力して下さった方には感謝。人の温かさをつくづく感じている。
 上棟式の後、N氏から関わった皆に感謝している内容の話があった。感情がこもっていた。職人を問わずお互いに感謝している事を言葉にした。なんとも満たされた時間であった。

 建て方を手伝ってくれた木の家ネットの大工メンバーが、伝統構法の建て方はやはり良い。石場建ては特に良いと話してくれた。この良さの意味が皆に伝わると良いと思っている。


2011年1月9日

1/2の成人式

1/2の成人式が行われます。聞き慣れない言葉ですよね。
私は父親として参加する予定です。
詳しくはこちらをご覧下さい。