いま造られている木造住宅のほとんどがプレカット加工されています。プレカットは手刻みの何十倍ものスピードで加工することが出来、夜も稼働していますからとても手刻みではそのスピードについて行くことが出来ません。プレカットを利用するとその便利さ、価格の安さゆえに経営的な立場から考えると、多くの場合利用し続けることでしょう。私も以前利用したことがありましたが、大工としての立場から考えると木の特性を生かしているとは言えず、以降手刻みで加工を行っております。電動工具を併用している訳ですが、プレカットとの大きな違いは材料を吟味することが出来ることです。特に木材を見せるつくりとした場合、木材の美しさを生かしながら加工をするには一本ずつ触れなければなりませんし、同じ山で採れた木でも強度や曲がり具合もそれぞれ違いますので、それぞれの特性が生かされるように木配りをする必要があります。材の状態によっては寸法をわずかに変える場合もあります。そして何よりも木を見極める目は触れ続けなければ鈍化してしまうのではないかと私は考えております。大工は一本一本の木に愛着を感じ、そしていとおしみながら木を加工をし現場に運びます。私にとってプレカットの家づくりは機械的な処理にしか感じられなかったため今は利用しなくなってしまった訳です。長柄や複雑な加工が機械で出来るようになったとしても、やはり手刻みとは違うように思うのです。
手で刻む訳
木の乾燥(乾燥と変形)
木の変形は含水率100%以上(伐採時)から30%程度になるまでの間は起こりにくく、30%を下回り始め気乾状態といわれる15%前後の安定した状態になるまでの間に発生します。では木は乾燥するときにどの程度変形(曲がりや捻れ)するでしょうか。1本ずつすべて変形が違いますので一概にはいえませんが、杉や桧の4寸角4メートル材の場合変形(曲がり)しても10〜15ミリ程度でしょうか。あて材などは30ミリ程度変形することもあります。松や広葉樹はさらに変形が激しい場合もあり、住んでから屋根を持ち上げるほど変形した山桜の梁の話を聞いたこともあります。変形が激しい木は若木が多く、木も人間と同じで樹齢を増すごとに安定し、乾燥してもほとんど変形しないものもあります。
写真は、ねじれた松の木です。若木の部類に入りますが角材にしなければもう少し変形は少なかった筈です。丸太の状態で安定していたものの周囲を挽き取ってしまったのでこのように狂ったようです。
もう一枚の写真はねじれた木を受ける下木加工のものです。刻み加工の際に上木(桁)の変形が予想されたため、建て方時にねじれを写し取り納めました。
手加工による場合は真墨を基準に加工しますので、曲がろうが捻れようが加工できるわけです。機械加工のプレカットなどは、多くの場合外形を基準に加工をしますので変形した材は加工が苦手です。このため、人工乾燥などで変形を起こさないように表面を固めてしまうことが必要となる訳です。プレカットに天然乾燥だけでは、ある程度の仕口のがたつきを容認しなければならないでしょう。手加工でも適度に乾いている必要はありますが、、。
天然乾燥ならば、一本毎の乾燥度合いに応じた仕口の堅さや形状を調整できる手加工。人工乾燥ならば、堅く固まってしまった材でも加工の容易な、外形基準のプレカットが向いているようです。
次回は乾燥方法による色の違いなども取り上げてみたいと思います。
木の乾燥
昔から木造の建物は、木の乾燥や変形との格闘でした。その中で生まれてきた構法や仕様は時代を経て洗練されて来たわけです。当時の川を使った流通の方法も良い木造をつくる上で貢献していました。簡単に木の流れと乾燥との関係を書きますと、山で伐採後の葉枯らし乾燥で木を軽くして運びやすくし、川で運搬中に余分な樹液や樹脂等を洗い流す水中乾燥を行う。これにより狂いや割れが少なく防腐や防虫効果も向上しました。次に木挽きが木を挽き、自然乾燥させるというものです。今では陸送で運んでしまいますので水中乾燥は珍しいですが、再び取り組み始めている造り手も出てきているようです。
木は乾燥変形による強度低下や美観低下を防ぐため、加工前に乾燥させて使いますが、ただ乾燥していればよいというものでもありません。木の変形を逆手にとって組み上げ、乾燥に伴いより堅固な建物を造ることも日本の木造技術の一つです。
木の乾燥をテーマにすると内容が多いためこの先何回かに分けて書いてまいります。
まずはさわりだけですが。
木の中の水分は、自由水と結合水に分かれます。自由水は木の細胞の中にたまっている水分で、結合水は細胞膜に含まれている水分です。立木伐採後の葉枯らし乾燥を経て製材するまでの乾燥では、主に自由水を乾燥させます。その後製材を行い再び桟積み乾燥などを行いますが、この期間に自由水の他結合水を乾燥させます。これにより木材が変形し始めます。自然乾燥期間は針葉樹の角材の場合、葉枯らし乾燥から気乾状態(含水率15%程度)にするまで2〜3年を要します。(気乾まで乾燥させると加工性は下がります。)最近では人工乾燥の技術が向上し、乾燥期間短縮に貢献しているようですが、木の風合いや香りを考慮するとじっくりと時間をかけて乾燥を行う自然乾燥に私は惹かれます。工期とのかねあいで何年も乾燥期間を持つことが出来ない場合もありますので、その場合加工期間も含めての乾燥を行います。
家をつくるのに適した季節
「家をつくるのに適した季節はありますか?」と時々質問を受けます。家の仕様によっては季節を考慮に入れた方が良いでしょうと答えます。その訳は、無垢材や天然素材を使用する家づくりをする場合、木材を伐採する季節と雨の季節や寒い季節に考慮した工程を組まないと、同じように施工をしたとしても仕上がりに影響が出やすいからです。
木材の切り旬は、秋から冬にかけてですから、早くて翌年の春や秋に刻みを始めるのが適当です。もっともこれは天然乾燥を前提としたことで人工乾燥では少し時間が早まりますが、基本は大切にしたいところです。また、梅雨時や秋雨時もせめて建て方時期とずらしたいところです。
壁に土壁を選択した場合はさらに荒壁を塗る時期と仕上げ塗りの時期が良い季節である必要があります。まず避けたいのは壁が凍ってしまう季節冬です。仕上げ時に冷たい風が当たると白化(はっか)などにより変色してしまうこともあります。雨の季節も乾燥が遅く工程に影響を与える他、カビが生えやすい季節です。
ではいつ建てるのが良いかとなると、
季節①前年に伐った木を使い、秋に刻み秋のうちに建て方を行い、本格的な寒さを迎える前に荒壁を塗り、冬造作工事を行い、新緑の季節に完成する。
季節②前年又は前々年に伐った木を使い春刻み、梅雨前に荒壁と屋根工事を完了させ、秋から初冬にかけて仕上げ工事をする。
実際には色々な条件が重なり建てる時期が決まるのでしょうが、無垢の木と天然素材でつくる家はつくる旬があるのです。
景観は皆でつくる
家の外観が変化しています、〜風の家が増え続けているためでしょう。家をつくるには風土に合わせた計画が本来必要なはずですが、設備の性能向上のため高温多湿の日本であっても閉鎖的な住宅をつくることが出来ることとなり、結果、窓の小さい家が新築住宅のほとんどを占めているのが現状です。閉鎖的な住居が日本のスタンダードになりつつあり、防犯に備える意味と外に出なくても日常生活に不自由がないという今の社会を現しているような気がします。また、サイディングの流行は、さまざまデザインを可能とし、カラフルな街並みが増え続けていることもまた事実です。かつて甍の波と白壁のコントラストは、美しい街並みをつくってきました。私の住む川越の蔵の街並みは建物毎にデザインや寸法が統一されている訳ではないのに一定の連続性をつくっています。色や素材の統一が美しさをつくっていることと、素材そのものが長期に渡り味わいを増してきているからでしょう。
家をつくる際、住まい手と造り手それぞれが本物の素材を使う意識を持ち、周囲の環境に配慮しながら家造りを進めることが出来れば、日本の空の色に合う美しい景観の豊かな街が出来るに違いない、、、と考えるのは私だけでしょうか。
軒の出
梅雨の長雨と秋の長雨そして夏の夕立と、日本はやっぱり雨が多いですね。さらに台風や地球温暖化の影響でスコールのような集中的な雨も数多くあります。つまり、雨対策や湿気対策を抜きに日本の家は語れないことになります。雨に対しての性能を上げるには軒の出を深くすることが挙げられます。雨の日でも窓が開けたい場合などは窓の庇(霧除け)があると良いです。
最近、一般的につくられている住宅は、コストダウンや敷地広さの関係により軒の出が少なくなるのは当たり前、シンプルなデザインを意識し出が無い住宅もよく見かけます。地域性により軒の出を浅くすることが必要になることもあるとは思いますが、雨を眺めて文学に勤しんだり、紫陽花を見ながら雨宿りをするという風情のある生活を捨ててしまってはもったいないような気がしています。何よりも心が育たないですね。
普段の仕事では、軒の出を1メートル前後確保していますが、敷地が狭い場合はプランを工夫したり、高さを抑えるなどなるべく軒先の機能が有効に働くように意識しています。コーキングや外壁材のみに頼るのは、長期的に見て心配でもありますので。
雨を凌ぎ、夏の日差しをカットし、冬の日差しを取り入れる軒先の文化が復活することを願います。
木の外壁
外壁に板を張ることが当たり前だった時代、新築や外壁を修繕した家は周囲の家からひときわ目立った存在になったことでしょう。住まい手は家を大切に使おうという気になり、造り手は見守り続ける気持ちを新たにしたに違いありません。また、周囲の住民はその木肌の美しさに見とれ木を見ながら生活することを心地よく感じていたことでしょう。そして、左官壁と木肌で統一された美しい街の景観がそこにはあったはずです。
最近板張りの外壁を多く施工しますが、通りすがりの方や見学会に来られた方は改めて木の美しさを発見され、しばらく眺めている方もいらっしゃいます。今では、外壁に板を張ること自体が珍しいことになってしまい、その美しさを忘れかけていることが非常に残念でなりません。木は長持ちしないどころか、使い方を間違えなければ数十年間メンテナンスフリーであることは、意外に知られていないことです。法的に木が張れない地域では、土壁と併用するなり、部位を限定することで張れる場合もあります。新建材や化学素材に囲まれた生活が良いのかどうかを街の美観や環境保護の立場からも住まい手、そして造り手が考える時期に来ているようです。
写真の家の住まい手は、30年後に美しく味わいの増す外観を求めていましたので、無塗装の板張りとしました。適度に木が風化した様を美しく感じるかどうかはその人の美観や価値観によるとは思いますが、幾多の風雨に耐えたその姿を造り手である私は美しいと感じます。
梁は通す
梁は木を水平に横使いとして通常屋根や床の荷重を支えるものですが、時折やってくる台風や地震の様なものに対しても、家を守る要となってくれます。では、それら横からの力に耐える梁とはどのようなものでしょうか。最近多く使われている、短ほぞ差しや蟻落としの小間切れになった梁ではおそらく難しいでしょう。昔からの古民家に見られるような大黒柱に差し込まれた牛梁や差し鴨居、段違いに組まれた小屋の梁などは横からの力を適度に吸収、適度に柱に伝達し、地震力などを分散、減衰させて建物が倒壊しないように働いています。壁や下地合板がなければ変形してしまう建物とは違うつくりになっています。
建て方を経験すればよくわかりますが、渡りあごで組まれた連続梁を使った建物は仮筋交いを使わなくても揺れが少なく安心して建て方を進めることが出来ます。長めの梁を組んだとたんに揺れが止まる事実は大工や鳶ならば知っていることですが、なかなか口頭では説明しにくいものです。金物類で締め付けるよりもずっとしっくりと納まる感じです。
では、具体的にどのように梁を配置すればよいのか。まずは、端から端まで同寸で通すことだと私は考えます。そして、出来るだけ整理して配置することが重要です。柱の間隔が半間であろうが2間であろうが、同寸の材を一定間隔に配置し、桁行き方向、梁間方向共に通すことが出来れば、安定した架構をつくることが出来ます。柱がたくさん建つからそこだけ小さい梁にしてなどという経済性最優先のつくりではなく、長期的な耐久性を持つ梁の架け方を再び先人に学ぶ時期に来ているのではないかと思います。構造美の復活を願います。
木造って?
住宅の構造には大きく分けると木造、鉄骨造(軽量含む)、鉄筋コンクリート造(以下RC造)があります。
鉄骨造は、鉄と鉄を鉄のボルトで固定して構造体を造ります。RC造は、柱や梁を鉄筋とコンクリートを使って一体化させ構造体を造ります。そして、木造はというとその大多数は木と金物を用いて構造体を造ります。鉄骨造とRC造は、その名の通りの素材を使用して造るのに対し、何故木造は、木だけで構造体を造るということにならないのか不思議だと思いませんか、多くは木と金物を使って造るのだから木金物造の方がわかりやすい名称だと思うのですがいかがでしょうか。
これまで木造の住宅は歴史の中で大多数を占めてきました。伝統的に造られてきた木造は、金物補強を必要としないため、木造の名の通り、木と木を木で固定して構造体を造ります。同じ素材同士の組み合わせなので樹種が違っていてもその特性は似ていて、木と金属などのように異種の物よりもずっとなじみは良いわけです。例えば手と手を繋いで引っ張り合う場合、どちらの手も大きく傷つくことはありませんが、相手が金属や石である場合柔らかい手が傷ついてしまう場合があります。木造にも同じことがいえる訳で、金属と木材では木材が負けてしまうことが多い訳です。
まず、木を構造に使いたいと考えた場合、木の特性をよく考えてみましょう。小さな木は簡単に手で折れてしまいます。爪を立てれば傷が付くし、たたけば潰れる。つまり、柔らかく脆い訳です。しかし、手触りが良く、目に優しく、香りがよい、そして柔軟性があり軽いなど良い点も多くあります。生物である人間が植物である木と近い関係にあるため相性はもともと良い訳です。
では、なじみの良い木同士で構造体をつくるにはどうしたらよいか。構造体は地震や台風などの外力に対し強くなければなりません。そこで、鉄骨やRCに比べると弱い接点ではありますが、弱い接点でも数多くつくり力を分散させることができれば、全体で持ちこたえる構造が成り立つ訳です。少ない接点で剛強に持ちこたえるのではなく、多くの接点(木組み)で強靱に持ちこたえる構造こそ木材の特性を生かした理想的な木造の姿といえます。
長くなりましたので、具体的なお話はまた次回。
真壁と大壁
柱が見える壁を真壁、柱の見えない壁を大壁といいます。ここでは柱とは構造柱を指しますので、付け柱などの柱だけが見える壁は真壁風大壁となり、大壁の仲間です。
さて、真壁とは辞典で調べると柱や梁を現しにし、それら内法に壁を塗ったもので、構造材がデザイン要素となる壁となっていますが、大工からみた真壁とはさらに意味深いものがあり、仕事を現すのが真壁で隠すのが大壁であったりもするわけです。真壁のつくりには常に光り付けという技術(光が漏れないほど材同士を密着させる技術)が必要で、角材であれ丸太であれきちんと密着させるには丁寧な仕事が求められるわけです。もちろん大壁の仕事にも丁寧さは必要ですが、下地としての正確さが求められ壁の平面性が重要になりますが、真壁は柱や梁の木目や表情を揃える気配りも必要で、強度と美観の両方を備えるように配置します。軸を美しく見せる真壁とシンプルな表情をつくりやすい大壁、それぞれの特長を生かして、石膏ボードにクロス張りの大壁一辺倒に終わらない表情豊かな木の家をつくってはいかがでしょう。
国産木材とそれらを使う大工の知恵について
まずは国産材を使いたい。そして、出来れば近場の木を使いたい。樹や生物はその場の環境に馴染んで育つため近くで育った木は、その土地で使えば長持ちするようだ。菌類や害虫に対しても一定の対抗性を持っている。
薬剤で無理に処理しなくても使うことが出来るのはそのためだ。難点は小径木が多いために、心持ち材の割合が多くなるということ。心持ち材は背割りを入れない限り必ずヒビが発生する。(これは欠点ではなく木材の特性である。)また小径木は捻れや曲がりも起こりやすい。樹齢の少ない木を上手く使いこなすには、それら木の癖を強さとして生かす知恵が必要だ。先人たちは長い時間かけてこれらの課題に取り組んできた。今の時代でも色褪せないそれらの技法は、伝統技法と呼んでいる。
木を使いこなすには伝統技法は必須である。木の声を聞かずして手当たり次第材を配っていったのでは、とても丈夫な家には組上がらない。本来の木造に求められることは、むやみに金物で補強するのではなく、1本1本の木を見極め、その癖を組むための確かな知恵である。今まで積み重ねられてきた木造建築をつくる知恵が次世代へと受け継がれていくために造り手として努力していきたい。
ご挨拶
ブログをご覧頂き有り難うございます。ウェブサイトの開設と共にブログも開始します。木造の建物が少しでもご覧頂く皆様にとって身近なものになりますように、木を扱う大工の立場からそして設計の立場から、時には生活者の立場から色々な記事を書かせて頂きたいと考えております。普段は聞くことが出来ない現場の声なども交えて、楽しくそして身になる話をお話し致します。定期的にアップして参りますので、末永くご覧頂ければ光栄です。 綾部孝司